わたしの息子たち、研究室でともに過ごす若者たちにこのページをささげます。
第一部「熱力学の法則、人生の法則」 第二部

息子たちのために、ここで「とんめ」という私自身の呼称を使っています。

人間の生き方にとってほとんど自明なことなのに、学校でもどこでもなかなか
教えてはくれないことがいくつかあると思います。知っている人はそれを自明
なものとして暮らしていますが、知らない人は、どこでも教えてくれないので
ひどく無駄な時間をすごし、悩むことになります。

ちょうど、熱力学の第一法則と第二法則みたいなものです。ちょっと教えてもら
うと当たり前と諒解できるのですが、知らないと、一生懸命「永久機関」を作ろう
として一生を台無しにしてしまうようなものです。
※科学的に示された法則の中に熱力学の第一法則、第二法則というのがあります。
これを知っていれば「永久機関」は絶対に作ることができないことが理解できます。
しかし、それを知らずに一生「永久機関の夢」追い続けた人もいるのです。
良く似た例は錬金術でしょう。これもできないことは科学的事実ですが、
金の合成を夢見て一生を捧げたひともいます。

そのようなことを書いてくれた本に出会ったおかげで私も一生を永久機関の開発
に注がなくてすんだのです。あなたにも是非お薦めする本は、ジュニア新書9の
「詩のこころを読む」という茨木のり子の本です。

そのなかから、とんめが、順次第一法則、第二法則を取り出して以下にまとめたいと
おもいます。でも、原著を読むことをお勧めしますが。

(我が研究室の学生さんにも伝えたいのでホームページに載せますが、以下の詩やジュニア
新書の抜粋は本当は著作権法上いけないのかもしれません。原著の引用を明記して、さらに
原著を読むことを薦め、さらにページの目的から、おそらく許される範囲と判断し
書いています。)

以下、>で始まる行はとんめの言葉であり、それ以外は引用です。


         I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いて行くと 青い夕靄の奥から浮き出るように、
白い女がこちらにやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から眼を話さなかった。
頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて
世に生まれ出てくることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく
<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
--- やっぱり I was born なんだね ---
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
--- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。
自分の意志ではないんだね ---
そのとき どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気と
して父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕に
とってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
--- かげろうという虫はね。生まれてから二、三日で死ぬのだそうだが
それなら一体何のために世の中に出てくるのかと そんな事がひどく気に
なった頃があってね ---
僕は父を見た。父は続けた。
--- 友人にその話をしたら 或日、これがかげろうの雌だといって拡大鏡で
見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るには適しない。
胃の腑をを開いても入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。
ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸のほう
にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの
悲しみが 咽喉もとまで こみ上げているように見えるのだ。つめたい
光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も
肯いてこたえた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくの
ことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは---。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。だだひとつ痛みのように
切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
--- ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体---。

(吉野弘、「消息」)

>茨木のり子の解説より抜粋すると、

「頼んで生まれてきたんじゃないや」と憎まれ口をたたく子も多く、
それなのに、ああしろこおしろとうるさくて、割の合わない話と、
子供時代には誰もが漠然とそのように感じています。
受け身で与えられた生を、今度は、はっきり自分の生として引き受け、
主体的に把握しなければならないのです。考えてみれば、つじつまの
あわない、かなり、難解なことを、ひとびとはやってのけているわけ
なのでした。 

---
>学校では教えないけどはっきりしていることがいくつかあるとおもう。
>そのいくつかが 茨木のり子の「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書9)
>に集録されている。そのうちの一つが、生が受け身であるという事実である。
>上記の茨木のり子の説明以上に私が書くことはないけど、
>「いってくれれば理解できるんだから、ツベコベ悩む前にもっとはやく
>言って欲しかった!」(そんなもん自明だろ!といわれても、、、それほど
>頭良くないので、、、そう簡単にはわかんないよ)

>生が受け身である、という原理の派生として次のことがある。
>---

      見えない季節

できるなら
日々の暗さを 土の中のくらさに
似せてはいけないでしょうか
地上は今
ひどく形而上学的な季節
花も紅葉もぬぎすてた
風景の枯淡をよしとする思想もありますが
ともあれ くらい土の中では
やがて来る華麗な祝祭のために
数かぎりないものたちが生きているのです
その上人間の知恵は
触れればすぐくずれるチューリップの青い芽を
まだ見ぬうちにさえ
春だとも未来だともよぶことができるのです

(牟礼慶子「魂の領分」より)

>とんめの考えるポイントは、暗いけど土の中にうごめく生命力
>に絶大な信頼を感じることです。
>
>茨木のり子の解説はこうです

青春は美しいというのは、そこを通りすぎて、ふりかえったときに
言えることで、青春のさなかは大変苦しく暗いものだとおもいます。
大海でたった一人 もがいているような。
さまざまな可能性がひしめきあって、どれが本当の自分なのかわからいし、
海のものとも山のものともわからないし、体の方は盲目的に発達してゆくし、
心のほうはそれに追いついていけず我ながら幼稚っぽいしで。ありあまる
活力と意気消沈とがせめぎあって、生涯で一番ドラマチックな季節です。

自分をつかむという、難事業中の難事業のとっぱなですから途方にくれるのも
無理からぬこと。どんな時代にも、思春期にハンドルを切りそこなう
人が多いのは、たしかに危険なカーブ、なかなかの難所であることが
わかります。

見ていると、十代の後半までに、はっきり自分をつかむことのできる
人がいます。つまり自分の時間を何に一生捧げて悔いないか、自分の
素質を早い時期に見定めることのできた人で、聡明という言葉は
こういう場合にこそぴったいりだと思えるくらい。でもたいていは、
長い模索とあちらにぶつかりこちらにぶつかりしながら自分をつかみ
とってゆくのがふつうで、これはこの詩にかかれているように、


できるなら
日々の暗さを 土の中のくらさに
似せてはいけないでしょうか

という、つびやくとも悲鳴とも忍耐ともつかない内的独白をかかえて、
苦闘することになります。

冬の大地はのっぺらぼうですが、春になるといっせいに芽が出て、
播いた種でもないものまで現れて、雑草もぐんぐん。それなのに
待っていた芽はあらわれなかったりして。
冬の間、土の中でいったいどんなドラマが進行していたのか、草木や
花を見てからやっとわかったりします。開花したもの、ついに枯れて
しまったもの。だとすれば人の心も、霜柱が立ったり氷ったりの泣き
たいようなさむざむしいなかでこそ、どんな種子を育てているかわかった
ものではありません。著者は地上の見える世界よりもむしろ、地下の
世界でひしめいている暗さ、豊かさへの予兆の方に信頼をおいています。


>とんめの考えでは、これは思春期に限らず一生の内に何度か難事業にあたる
>ことになります。
>ちっぽけでも「聡明さ」がポイントになります。
>これについては、以下の詩も同じ本に出ています。

       芝生

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ

(谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話かけたかった」)

>とんめの考えでは、自分の一生を何に捧げて悔いないかを
>知っているのは自分の細胞なので、自分の細胞からの
>かすかな信号を感じ取ることが大切。これは頭で「自分に
>なにがむいているか」考えるのとは違って、いろいろ毎日
>活発に活動して、いろいろやってみて「感じて」くるもの
>です。感じる機会をもてるかどうかは偶然に大きく左右
>されるので、「偶然」が重要になってきます。「偶然」と
>いうのは見かけだけかもしれません。見えない季節で、考えた
>ように無意識の、どこか地中深くで物事が必然的に進行して
>いるのかもしれません。

>以上が、熱力学の第一法則のようなもので、毎日の生活の
>基本的考え方、方針を与えてくれる原理です。

>第二法則は何でしょう? ひとと人の関係に関するもの(つづく)

>男女の間を考えるのにも第一法則があります:特に男の子には
>重要な法則があります(これもつづく)(これは別の本にみつけました)

>第一法則の最後に以下の詩をあげたいとおもいます。

          新しい刃

むすこが たどたどしい手つきで
新しいカミソリを使っている
始めておとなに変装するので
儀式かなんぞのように両肘を張って
気むずかしく脇目もふりません
こめかみに 小鳥の舌ほどの血が
拭いても拭いても垂れるので
ちょっと びっくりしています
彼の内部で何が傷ついたのでしょう
はだかの背が 皮のむけた樹の幹みたいに
まぶしく濡れています
むすこには聞こえないようですが
その若い幹のあたりで
小鳥たちがいっせいに さえずっています
彼には見えないようですが
鏡の中では潮がうねっています

(安西均「機会の詩」)

>茨木のり子の解説のなかに以下のような段落があります。

少女時代「あなたが側にくると、さあさあと血の流れる
音まで聞こえて来るようだ」と老いた人に言われ、なにを
寝ぼけたことをと聞き流してしまっていたのですが、
いまや、若い人と話をしていると、新品のポンプでたえず
汲みあげられる新しい血の流れ、とどこおりなく
駆けめぐっている潺々の音が聞こえるようになりました。

人生の皮肉、誰かの意地悪みたいな食いちがい。新旧の交替は
こんなふうにさりげなく果たされてゆくのでしょう。
どこがつなぎ目かわからない縦糸のように。

>この部分がわかものへのエールの意味になっていればよいのですが。

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   柴田晋平 (しばたしんぺい)
   山形大学理学部物理学科  〒990-8560 山形市小白川町1-4-12
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