2001年3月の日記


2001年2月の日記

3/31(土)

今日の昼飯はスズラン街(山形駅付近の商店街)の「志ら梅」。 なかなか美味しかった。特に味噌汁。

昨日のドツボの原因は単なる符号の間違いと判明。プラスだと思ってた係数 がよくよく定義を見たらマイナスだった。

出張やらなんやらで間が空いてしまい、約一月ぶりに山形社会保険センター にトレーニングをしに行ったら、休館日だった。年度末だから? 結局、帰宅後自宅周辺を40分ほど走る。

3/30(金)

午前中は論文読み。丁寧だがやたらと長いイントロというのも困ったものである。 最小限の要点だけを要領良くまとめてくれればいいものを。まさか、後続のライバル たちをてこずらせるためという訳でもなかろうに。

昼すぎにに少し雑用をして、午後は新ネタの準備計算をしてたら、どうしても理解 できない結果が出てしまいドツボにはまる。おかしい、乱流で粒子加速するはずが 減速になっている。なぜだろう?

3/29(木)

自転車で大学にきたが、昼から雪になってしまった。出張明けということで、 雑用にてこずる。なんとか午後の後半は論文読みに当てられたが。

3/28(水)

天文学会3日目。スーパーミラー(硬X線のimageをとるためのミラー)を開発中の N大学のかたと議論。

山形へ帰る前に、新橋ガード下の居酒屋「羅生門」にたちよる。焼き鳥が少々 塩がきつすぎるのが難点だが、煮込みはおいしかった。なんといってもこの雰囲気は は癖になりそうである。さすが「おやじのまち」新橋。こうやってわたしも一歩一歩 「おやじ」へと近付いていくのだろうか、、。

3/27(火)

天文学会2日目。自分のポスターの前で議論していて、NASDAのM先生から 「良くまとまっているけど、常識的な予想をconfirmしたということでいいのかな?」 はい、全くその通りでございます。本当はもっとexisoticなmodelをつくりたかったの ですが、、、。

3/26(月)

天文学会1日目。OHPを縦にしたのが失敗だった(大泣)。

ポスター会場のすぐ横で4年生から卒論レポートの質問を受けるという予想外の 出来事があった。

京大附属飛騨天文台助手のU氏がパパイア鈴木に似ているという 話題で盛り上がる。そう思ってたのは私だけじゃなかったのね。

3/25(日)

昼前に山形をたち、2時すぎに東京駅到着。丸の内のオフィス街(日曜日は静かだ) を歩いて抜けて日比谷にある 出光美術館へ。 御目当ては「伴大納言絵巻」だったの だが、特別展開催中のため拝めず。ここのロビーからは江戸城が眺められてなかな か景色が良い。

その後、都営三田線で神保町にいき、古書店街をうろつく。 「散歩の達人」 99年4月号 (神楽坂、九段下 特集) がほしかったのだが見つからなかった。 なお、神楽坂近辺は私が小6の途中まで住んでいたところで、 「出没!アド街ック天国」で特集されたときには、幼馴染みの家が「川端康成 の通った文具店」と紹介されていたり、子供にとってはただの大きな文房具屋 としか思ってなかった「相馬屋」が「文豪の通った文房具屋」とか、はたまた 山田五郎氏の「相馬屋の原稿用紙に書かれた原稿を作家の先生から頂くとこちらも 身が引き締まる。」といった発言など、いろいろびっくりした記憶がある。 この放送で1位になった、「毘沙門天」は子供のころ良く友達と遊びにいった ところで、また5のつく日の縁日のラムネや金魚すくいなど、私にとっては思いで がつまりまくったエリアなのである。

3/24(土)

来週からの千葉出張(日本天文学会春季年会at千葉大)のためのトラペづくり。

花粉症の薬をもらいに耳鼻科へ行く。春がきて暖かくなるのはいいのだが、、、。

3/23(金)

杉山さんの集中講義 at 東北大(三日目)。偏光のところは難しかった。

山形ー仙台間は充分日帰りできる距離とはいえ、さすがに二日続けて 朝6時おきはしんどい。

3/22(木)

杉山さんの集中講義 at 東北大(二日目)。

3/21(水)

午前中は雑用と論文読み。午後は東北大に杉山さん(国立天文大)の集中講義を 聞きに行く。

帰りに広瀬通りぞいにあるスターバックスに寄り道。既に仙台には4店ある ことをしる。近々福島にもオープンするらしい。山形にはできないかな、、。

3/20(火)

論文書き。最終checkの後、ようやく投稿する。なんとか年度内投稿の目標は果たせた。

3/19(月)

午前中は論文書き。午後は東北大に談話会(二本立て)を聞きに行く。 仙台駅前で東北大へ向かう途中の山田さん(国立天文台)に偶然会う。

3/17(土)、18(日)

両日とも40分程度のジョグをしたのだが、死ぬほどからだが重かった。 やはり冬場に走ってなかったつけが出てきたのだろうか?それとも歳のせい? はからずも荻原健司や三浦和良(二人とも私より年上)の立派さが身を持ってわかる。

3/16(金)

月末の千葉への出張の切符を買いに生協へ行く。前回(2/26を参照のこと) のことを覚えていてかどうかしらないが、いちいち呼ばれるときに「先生」 と言われる。なんか不自然だなあ。別に教官だろうと、事務官だろうと、 学生だろうと、ようは「お客さん」でいいのに。

私の指導教官が、「指導者だと思えば**先生と呼べばいいし、 共同研究者だと思えば**さんでいい。」と昔言ってたことをふと 思い出す。

3/15(木)

終日論文書き。図を一つ付け加えるのにえらく時間がかかってしまい なかなか前へすすめない。あともう少しなのだが。

某英会話学校にて、teacherの一人が髪をばっさりと短くしたことから 話がはじまり、最後は、「薄くなったら松山千春のようにしよう。」 ということでまとまる。幸い私はまだ大丈夫なようですが。

3/14(水)

論文書き-->会議-->論文書き-->論文読み

3/13(火)

明け方からの雪のため、再開したばかりの自転車通勤を断念。バス+徒歩で 大学に来る。と思ったら大学につくころには晴れていた。

東大より星野さんが柴田さんとの打ち合せのためこられる(明日午前まで)。

終日論文書き。

3/12(月)

雪と寒さのため12月半ばより中断していた自転車通勤(片道約25分)を再開する。

午前中は共同研究者のO氏、S氏と投稿準備中の論文について議論。午後は 自分の論文書き。

3/11(日)

雪と寒さのため12月半ばより中断していたジョギングを久々にやった。 屋内のマシンでは走っていたが、久々に外を走るのはたとえ重装備でも気持が良い。

3/8(木)

昼は New Century of X-ray Astronomy(第3日)。 お昼にまた飽きもせず中華街へ。夜に山形に到着。

3/7(水)

昼は New Century of X-ray Astronomy(第2日)。夜はバンケット。 Tru**er 先生の話は相変わらず長い。(二年前の南大沢での国際会議での バンケットでも長かった。)

3/6(火)

昼は New Century of X-ray Astronomy(第1日)。ポスターセッションで 東大牧島研の中澤君と、Maryland の Mark Henriksen 氏と議論の後、 そのまま3人で中華街へ。銀河団(群)からの非熱的硬X線の話で大いに盛り上がる。 Henriksen氏の奥さんが日本人だと知り驚く。

3/5(月)

昼は日独銀河団ワークショップ。夜は中華街へ。 ところで、hypernova 自体はそれなりに面白い現象だと思うが、 銀河全体の化学進化にはそんなに効くのだろうか? 要は(普通の)超新星の元素合成にまだわからないところがあるということだと思うのだが。

3/4(日)

昼過ぎに山形をたち横浜へ。上野で途中下車し、湯島の「デリー」 というカレー屋で夕飯。ここは、東大在籍時に何度か通ったお気に入りの カレー屋で、さらさらのルーとご飯の相性が絶妙だと思う。

3/3(土)

来週は月曜から木曜まで横浜。そのためのポスターをしあげる (ここ)。

3/2(金)

昨日の会議の続きは平穏無事に終った。やれやれ。

「The Beatles 1」 を聞きながら、 「最近買ったCD」のとこに「The Beatles 1」の感想 をかいていたら、「東芝EMIの**ですけど」という電話が研究室にかかってきた。 (もちろん間違い電話)しかし恐ろしい偶然だ。私の研究室と新星堂のどっかが 似た番号らしい。

2/28に帰国した韓国人留学生からもらった正体不明のお茶を、物性実験グループの 別の韓国人留学生 I 君に見せる。韓国の伝統的な健康茶らしい。I 君は(同じものは 飲んだことないが)似たようなのは飲んだことあるらしい。すすめたところ、少し吹き 出したが、美味しいとのことだった。一緒にいたO先生にも飲むようすすめたが逃げら れる。

3/1(木)

ついに3月。私が山形大に着任してからちょうど一年たちました。

午前中は来週の横浜出張のポスターの準備。ただし、いまいちはかどらず 未完のまま。午後は会議。晴れ後曇で最後は暴風雨だった(号泣)。結局明日の 午前に延長戦へ。明日は丸一日ポスター準備に当てられると思っていたのに。

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