2001年9月の日記


2001年8月の日記
2001年7月の日記
2001年6月の日記
2001年5月の日記
2001年4月の日記
2001年3月の日記
2001年2月の日記

9/30(日)

「UVAのキャラクターグッズが欲しい」という、ミーハーな妻の要望に答えて、 UVA bookstore に行く。パーカー、絵葉書などを買う。

45分ジョグ。

高橋選手が女子マラソンで世界記録を出しました(某新聞のwebページ で初めて知った。)。うーん、動く絵を見たかったなあ。やっぱりこう いう時のためにもテレビが欲しいなあ。

9/29(土)

朝10時半頃、家のそばのスーパーに買物に行った。そのときは別に普段 通りだった。11時すぎに買物を終えてスーパーを出ると、そこには今ま で見たこともないような大渋滞ができていた。しかもかなりの車が、アメリ カ国旗やUVAの旗やステッカーを貼ってちょっと普通の雰囲気でない。 今日はフットボールのホームゲームの日だったのである。しかも御丁寧に 道端にはダフ屋まで。

というわけで、 フットボールのホームゲームを見に行く。とはいってもチケットの取り方は よくしらないし、家にまだテレビもないので、スタジアムの外の道路の ガードレールに座っての観戦である。柱やフェンスがちょいと邪魔だが まあまあ見えるし、スタジアムの歓声やブーイングで雰囲気は充分楽しめる。 しかしまあ、こっちの人はフットボールが熱狂的に好きだとは聞いていたが、 いやほんとすごいねえ。今度はちゃんとチケットを買ってスタジアムの中か ら見たいものだ。

45分ジョグ。

9/28(金)

恒例のSarazinのグループのランチ。観測予定があくまでも予定で あることの(つまり、変更の可能性があること)例として、「太陽系のそばで 超新星がおきて、人類が滅亡するかも」というS先生のセンスはなかなか素敵。

9/27(木)

船便の荷物の到着予定をしらせる手紙がくる。それによると、10月はじめに ロスアンゼルス到着だそうな。日本から東海岸まで運ぶには、パナマ運河 経由で東海岸の港にあげるよりも、西海岸の港にあげてそのあと陸路の方が いいということなんでしょうか。どうでもいいけど、返信用の封筒を同封するなら 切手もはっといてくれ、N通。

40分ジョグ。

9/26(水)

家賃の支払のため、生まれて初めて小切手を使う。

9/25(火)

集録原稿完成し、投稿する。研究室のクーラーが取り外され、本格的に 修理されて戻ってくる。今度は大丈夫だろうか?とは言ってもだいぶ涼しく なったのでそうクーラーの世話になることもなさそうなのだが。

大学のbookstore(名前は本屋だが、実際は購買と書籍がいっしょになったようなもの) で、コンタクトレンズ用の薬を探したところ、日本でもおなじみのB社と、 見たことのない会社のものはあったが、私が使っているM社のものは見当たら なかった。もしかしてM社は米国では販売されてないのだろうか? (だとしたらショックでかし、一応眼鏡はあるので何とかなることはなるのだが。)

40分ジョグ。今日は涼しくて快適だった。

9/24(月)

7月にあった研究会の集録書き(未完)。なんか図を作るのに手間取る。

研究室のクーラーがまた故障する。

9/23(日)

45分ジョグ。

9/22(土)

50分ジョグ。

9/21(金)

O氏論文のreferee commentに対するコメントを共著者に送る。

研究室のクーラーが無事復活する。

一箱だけ届いてなかった研究室の荷物がようやく届く。

9/20(木)

子供の検診のため大学内の primary care center にいく。予防接種を3本 うたれる。病院の受付の人が「これなんて読むの?」と、腕のいれずみ? らしきものを見せる。そこには、意味不明な漢字の羅列?のようなものが あった。

研究室のクーラーが奇妙な音を最後にたてて止まってしまった。故障したようだ。 同室のブラジル人が扇風機をかわりに持って来たが、これがまたうるさい。

バツ1論文の改訂を終え、別の雑誌に投稿する。さて今度はどうなることやら。

9/19(水)

とある雑誌のテンプレートファイルをもとに論文原稿をしあげ、スペルチェック にかけたところ、編集部が書いたコメント部分からスペルミスがでてくる。 これも御愛敬?

テーブルその他が一日遅れで無事到着。

45分ジョグ。そろそろ平地が走りたい。

9/18(火)

論文改訂作業*2。調べものをしようとすると、必要な資料はことごとく 未到着の箱に入っているような気がする。これも一種のマーフィーの法則か?

今日届く予定だったテーブルその他の家具類の到着が明日に延期になってしまった。

45分ジョグ。どこを走っても坂、坂、坂。

9/17(月)

O氏論文の referee comment をちゃんと読む。好意的なようだが、refereeの言う 通りにするとかなりの手間がかかりそうな、、、。

refereeの名前は特に明らかにされてはいないのだが、referee comment中 に以下のような部分があり、実は丸わかりであった(本人も隠す気はないのかな)。

"compare my earlier work with **** (#####)、、、、"

(注) ****には共著者の名前が、#####にはreferenceが入っている。

9/16(日)

4月よりこちらに来ている某天文台助手のF氏の家を訪問する。実は御近所である (というか、F氏の尽力で我々は同じ apartment complex に入居している)。F氏 の長男(約1歳)は、笑っちゃうくらいお父さん(つまりF氏)にそっくりである。

9/15(土)

自転車で20分ほどのとこにある中古家具屋に行き、テーブル&椅子*4、 照明*2、電話台を買う。火曜午後に到着予定。

O氏論文のreferee commentがくる。基本的には好意的なようなのかな?

9/14(金)

御昼はSarazinのグループのlunch meeting。午後にSarazinに、今やってる仕事 の紹介をしたあと、今後の研究について議論する。

昨日と同様、夕方に35分ジョグ。走り始めたのが遅かったので、最後のほうは 薄暗くなり焦る。

9/13(木)

夕方に少し時間が取れたので、こちらにきて初めてジョグ(35分)をする。 久々なのでかなりゆっくりとしたペースにしたのだが、なんせこのあたり は坂道だらけなのでハードだった。ただ、緑がたくさんあり、ランナーも もそこらじゅうに見掛けるので、雰囲気は非常によい。

こちらのランナーはポータブルCDプレーヤーやウオークマンを手に持って、 音楽を聞きながら走っている場合が多いです。私は人並外れた汗かきなので、 ヘッドホンをつけて走りたいとは決して思わないので真似をすることはな いでしょう。だいいち、危なくないんでしょうか?

9/12(水)

住み慣れた(?)ホテルを引き払い、apartmentに移る。

研究室の荷物が、段ボール一つだけ届いてないのだが、大丈夫だろうか? いずれにしてもしばらく飛行機とDC周辺の交通は規制されるだろうし。

9/11(火)

ニューヨークとワシントンDCが大変なことになっている。幸い、シャーロッツビル 自体は(ワシントンDCからは、東京ー静岡ぐらいの距離、ニューヨークはもっと遠い) は平静だが、多くの人が心配そうにテレビやWebを見ており、とても仕事に打ち込める 雰囲気ではない。

と、上に書いたが、授業もゼミも普通にやっているようだ。

研究室が同室のブラジル人あてに、彼の故郷から何度か国際電話がかかってくる。 やはり心配なのだろう。

9/10(月)

荷物(航空便の分)がapartmentに届く。研究室の荷物も大部分届く(あと段ボール箱 ひとつ)。

9/7(金)

University of Virginia のIDカードをつくる。研究室の荷物が半分届く。

家の荷物(航空便で頼んだ分)が通関を終了し、来週にも配達可能との連絡がくる。 これで一安心。

9/6(木)

apartment の鍵をもらい、実際に中に入る。

全然知らないブラジル人(?)と思しき人から、論文を送ってほしいというメールを ローマ字書きの日本語でもらう。うーん、なんか怪しい。

論文rejectの返事がかえってくる。ショックでかし!!次の一手を考えなくては。

9/5(水)

電話と電気の手続きをする。

学食(?)のようなところにThomasと一緒に御昼ご飯を食べに行く。サラダバー のところに豆腐がおいてあった。Thomasが取っていたので、「豆腐を知って いるのか」聞いたら、「山羊のチーズじゃないの?」という返事。実際に食べて みたら、やはり豆腐だった。結局彼は一口食べただけであとは残していた。

9/4(火)

銀行口座を開く。入居予定のapartmentsの管理事務所に行き、手続きをする。 ここで、早速英語で苦労する。管理事務所のお姉さんに、「ニッポン」といわれ、 何で知ってるのか尋ねたら、ボーイフレンドが日本人とのハーフだと言う答え が帰ってくる。

9/3(月)

ホテルから約2kmほどの道のりを歩いて大学へはじめて行く。途中でリスを 10匹以上見た。(Department of Astronomy のある建物の前で5匹ぐらい 遊びまわっていた)

在外の書類を山大にfaxで送る。

自転車を買う。

9/2(日)

ポスドクとして1週間前にこっちに到着している Thomas Reiprich 夫妻とともに、 Sarazin 宅の lunch に招待される。車で10数分程度の郊外だが、周りの感じは 八ヶ岳あたりの別荘地みたいだった。そういえば途中に牧場もあったし。恐れ多くも 子供をSarazinにあやしてもらう。そこいらじゅうをリスが走り回っていた。

9/1(土)

11時半ごろの飛行機で成田をたち、Washington D.C. に同じ日の10時すぎに 到着。新幹線の時とは違い、子供はご機嫌斜めで苦労する。隣にもほぼ同じくらいの 月齢の子供がいたが、そっちは静かにしていた。うーむ。D.C.から空路 Charlottesvilleへ。はじめてプロペラ機に乗った。空港でSarazinにあい、彼の車で ホテルに送ってもらう。
目次にもどる